まめ書架

読書、映画、ときどき音楽。あるいは芝居。

【小説】カズオ・イシグロ『夜想曲集~音楽と夕暮れをめぐる五つの物語~』

(※Facebookより再掲)

"ヘレンが電話を切る直前、おれは「愛してるよ」と言った。(中略)ヘレンも同じ口調で同じことを言い、電話を切った。いったいどういう意味だったのだろう。"

男と女がいる。彼等は夫婦だったり、大学時代の友人だったり、たまたま同じホテルで隣り合わせの部屋になった二人だったりする。かれらの間では、相手にむけて放たれたことばは、どこにも届かず、宙をふわふわ漂いつづける。

あそこでふわふわしていたことばは、いったいどういう意味だったのだろう?

 

カズオ・イシグロ夜想曲集~音楽と夕暮れをめぐる五つの物語~』

 

夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)

夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)

 

 

受け取る気がない、とか、伝える気がない、とか、コミュ障、とかそういうことではない。その状態は、ちょっとした専門用語で「ディスコミュニケーション」と呼ばれたりもする。コミュニケーションが成立しているようで、実は成立していない状態。同じ国のことばを使っているはずなのに、まるで異国にいるような。

そこに、音楽が聴こえる。楽器も様々。演者も様々。曲も、大物シンガーの名曲だったり、思い出の音楽だったり、ミュージシャン志望の若者がつくった曲だったりする。そんなことには関係なく、音楽は、男女のことばの空白地帯をしばらくの間満たしてくれる。

音楽がなっている間、彼等は安全な場所にいる。
そのあとのことは、わからない。

この短編集のなんともいえない渋みとおかしみと切なさは、多分そのへんに由来している。