まめ書架

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【小説】タオ・リン『イー・イー・イー』

(※Facebookより再掲)

寂しいんだ。

すきな女のこにはあえない。友達もいない。職を失いかけている。超絶ネガティブな思考回路はぐるぐると同じところを巡りつづけて、脳みそがとろけてバターになりそうだ。面白くなるにはどうすればいいか、わからない。

いったいどうしたらいい?

知るか!

知るか!!!

 

タオ・リン『イー・イー・イー』 

 

イー・イー・イー

イー・イー・イー

 

 

本人にとっては命に関わるほどに深刻なのだけれど、第三者からみれば「知るかよ勝手にしろよ」とツッコミたくなる話、というのが、日本の私小説である、という極めて大雑把な分類をしている私。私小説は日本特有に発展した小説のかたちといいますが、上記の理由でこのアメリカの小説も、私小説といっていいとおもうのです。

でもさ、ちょっとかんがえて、読みたいですか?居候の女生徒が好きすぎていい歳のおっちゃんが布団に顔埋めて残り香をかぐはなしとか、借金して女遊びして、俺もう人間失格してるわだめだ死のうと言いつづけてるひとの話とか、この文学賞おちたら風俗行こうとおもっているおっさんの話とか。

困ったことに、面白いのだ、これが。
だから時を越えて残ってきたのだ。

なんでかな。そこに、うそ偽りのないなにかが書かれてある気がするのかな。でも、布団の臭いかいでるおっちゃんは、ホントはもっと人に言えないこと考えてるし、やっていたとおもうけどな…。

著者のタオ・リンは、毎日新聞の連載「世界文学ナビゲーター」で取り上げられたとき、こんなことを言っていました。

「いまは自分のために、自分が読みたいものを書きたい」

近代文学発展期に書かれた日本の私小説を、実は殆ど読んでいないのです。手を伸ばしにくくて。触れてもいいものかよくわからなくて。中途半端なやつが触れたら噛み付かれそうで。でも、今に名を残す小説家たちにも若い頃があり、金と酒と女にまどい、俺ってこの先どうなるんだろ、とおもいながら生きていたのだ、と想像すると、なんかちょっと、あ、いける、というきがしてくる。たぶんきっと、話のあう人もいるとおもう。

少なくとも、タオ・リンとは話が合いそう。

あ、でも、太宰治は、あかんかも(二度挫折)