まめ書架

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【小説】松浦寿輝『川の光』

詩人であり、大学教授であり、夢とあわいの空間を描く小説家、松浦寿輝

評論『スローモーション』、小説『もののたはむれ』『そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所』など、わたしも何作か読みました。小説はまだなんとか太刀打ちできましたが、評論は、ほとんど、手に負えませんでした。昨年は『明治の表象空間』で毎日芸術賞を受賞されています。

そんなひとが、ふ、ファンタジー...だと?

 

松浦寿輝川の光』  

 

川の光

川の光

 

 

川を追われたネズミの親子は、住処をさがしに旅にでた。もう一度、あのなつかしい川のせせらぎの聞こえる場所で暮らすため、どんな困難にもめげず、道中知り合った友達たちと助け合いながら、川の上流を目指します。

まえから、噂には聞いていました。名作だと。あんまり信じていませんでした。昨今、名作なんて名乗ったもの勝ちだし、そのうえ「ファンタジー」だ、一見口当たりがよさそうなところも気になる。用心に越したことはない。

それがどうだ。

泣いた。号泣した。土曜の昼間でよかった。電車の中だとすごくへんなひとになっているところだった。あぶないあぶない。

ファンタジーというジャンルは、「独自の方法で世界に定義づけをする」作品群だとおもいます。ハイとかローとか違いはあれど、結局は、そこに行きつく。ということは、世界への定義づけが上手にできなければ、面白いファンタジーにはなりません。

ところで、わたしはジブリの『コクリコ坂から』はファンタジーだとおもっています。あの世界には「きちんと伝えれば、ことばは伝わる」という世界観があるのです。現実世界はそうじゃないかもしれないけれど、そこでならうまくいく。起こらないことも起こる。海ちゃんのメッセージは俊に、そしてお父さんに届く。

さて、『川の光』の定義は、

「他者を助けるものは、他者に助けられる」

そして、

「奇跡はおきる」

奇跡がおきなかったできごとの側には、常に、”死”があります。

ブルドーザーで家ごとぺしゃんこになっていたかもしれない。ドブネズミに殺されていたかもしれない。雨にうたれて凍え死んでいたかもしれない。下水道でおぼれていたかもしれない。ネコにつかまっていたかもしれない。イタチに襲われたかもしれない。ノスリに食われたかもしれない。車に轢かれたかもしれない。人間に踏みつぶされたかもしれない。

幾多の「かも」が起きなかったゆえ、いま、ここに、わたしが、生きている。これが奇跡じゃなくてなんだろう?

 

やばい。おもいだしたら泣けてきた。ぐすん。