まめ書架

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【小説】フリオ・コルタサル『遊戯の終わり』

今まさに読み終えようとした本の登場人物に背後から刺される男、岸辺に打ち上げられた自分の死体を眺める男、セーターのなかで悶え苦しんでいるうちに12階の窓の外に飛び出してしまう男…

現実は夢、夢は現実。


フリオ・コルタサル『遊戯の終わり』

遊戯の終わり (岩波文庫)

遊戯の終わり (岩波文庫)


海外文学が夢と現実を取り扱うとき、主人公はわりと冷静に、周囲の状況をかんがみて、「ああ、俺はてっきり現実だと思っていたが、これは夢だったのだな」と判断していることが、多い気がします。

この短編集に納められた作品の多くで、主人公は夢と現実がひどくあいまいな場所にいます。かれらは自分のいるつかみどころのない世界を冷静に分析している。カフカの小説とよく似た"悪夢のような"現実がたくさんでてきますが、コルタサルの主人公たちは、(その結果死ぬことになっても)悪夢から覚めようとします。あるいは、悪夢を現実としてひきうける。カフカのは悪夢じゃなくて、現実だから、だからもう死ぬよりほかにどうしようもないのだが、コルタサルのばあい、夢が現実に侵食してくるかんじがする。…まあ、どっちにしても、身を委ねるしかないのだけれど。

わたしは「昼食のあと」という作品が一番楽しく読めました。

お父さんとお母さんに言われて、しぶしぶ "あの子"を連れて街を散歩する主人公の少年。"あの子"は水溜まりに飛び込んだり、列車の窓から飛び出そうとしたり、信号が渡れなかったり、主人公を悩ませます。しかも力が強くて、引っ張って歩くこともできない。

一緒に歩くだけで人目を引く"あの子"が何者なのかは、最後まで語られません。人間なのかどうかすら、わからない。もしかしたらクマとかかもしれない。クマならまだいいけど、もっとなにか得体の知れないものかもしれない。主人公は"あの子"を連れて家へと戻ります。

主人公は散歩を経てすこし成長したらしい。
けれどやっぱり、"あの子"の正体はわからない。

理解が深まるに連れて、じわじわと、おもしろさを味わえそうな作品集です。