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まめ書架

読書、映画、ときどき音楽。あるいは芝居。

【対談】上野千鶴子・信田さよ子『結婚帝国』

世は婚活ブーム。誰もかれも、すこしでも「いい男」を手に入れんと女子力をみがきあげている。

そうして結婚したはいいけれど、ダンナに暴力をふるわれたり、不愉快なセックスを強要されたり、四人分(舅・姑・両親)の介護が待っていたり、就労をつづける友人と主婦で無収入の自分との格差に悩んだり...

結婚してもしなくても、おんなの道はいばらみち。

ならば、わたしは、「女」は、どうやって生きればいいだろう? 

この本には、結婚というひとつの契約が最重要社会制度となっている国・結婚帝国で、「女」がいかにいくべきかが書いてある。

 

結婚帝国 (河出文庫)

結婚帝国 (河出文庫)

 

 

いやいや、ちょっとまって。

結婚にリスクがともなうのは、男だって同じじゃないか。たとえば、妻の料理がへたくそで食うに堪えないとか、喧嘩のときに妻がすぐ手を出すので頬に生傷が絶えないとか...そう思った男性諸君には、この本は刺激が強すぎて読み進められないかもしれない。(だって、そんなの、リスクでもなんでもないからね。料理にこだわりがあるなら自分でつくれはばいいし、妻に殴られてもあなたは命の危険を感じないでしょう?)

この対談で繰り広げられるのは、ものすごく「ガチ」のガールズトークだ。それも、話しているのは、これまで「女」について考え抜いてきた社会学者と心理カウンセラー。この二人が、いわば、「DV」や「セックス強要」とかがぐつぐつ煮えてるお鍋を囲んで、ジョッキでビールを飲みながら、たぶんホルモンとかタコワサとか食べながら、「男ってほんと、なんでこんなダメなんだろ」「女ももっとしっかりしなきゃ」みたいな話をしているのを、末席から聞かせてもらっているかんじ。

刺激的で、知的興奮が味わえて、とても恐ろしい。

ここに書かれている「女」になる可能性は、わたしが「女」であるかぎり、いつだってすぐそばにあるのだ。結婚相手に殴られる可能性もじゅうぶんあるし、現時点でシングル街道まっしぐらのわたしは、30代パラサイトシングルの話も、親の介護も、他人事ではない。ここにはわたしのことが書かれている。

 

それにしても、しんどい目にあいながら、なぜ婚姻を解消しようとしないのか。

おふたりは、「プライド」であるとみる。

どれほど夫にひどい目にあわされようと、バツイチのレッテルを貼られることはおそろしい。子どもがいる場合はあっという間に生活が立ち行かなくなる。シングル家庭の貧困は今もうすでに問題となっている。それになによりこの夫、”恋愛結婚”の名のもとに、自分で選んだ相手なのだ(見合いでも最終的に決めるのは、じぶん。)自分で選んだダンナとの間で何が起ころうと自分のせい、となれば、あとはもう、現実への認知をゆがませて適応するしかない。

つまり、殴られる「女」はこうおもう。

「この人は私がいないとダメになる」

人間の適応力はすばらしいし、どんなときでもプライドはある。そのプライドの方向がいまは「婚姻関係の維持」にのみ向けられてしまっていることが問題なのだとおもう。

 

結婚なんて契約だよ、紙切れ一枚だせば結婚だよ、と同い年の面々(20代後半)と飲んだときに言ったら、女の子から真顔で「それはちがうよ、そんなことないよ」と諭されたことがある。でもわたし、結婚帝国でおこっている種々の問題は、”わたしには『愛』がある”という認識から端を発している気がする。

殴る男は言う。「こいつが俺を殴らせる」――悪いのは妻である、と。彼は妻を愛しているがゆえに殴るのだという。ちょっと理解できない。そんなところに愛などない。男は愛だのなんだのを方便に、都合よく「女」を支配しようとする(身に覚え、ありますか?ないだろうな。だって無自覚だとおもうから。)

結婚というものに恋だの愛だのは、いらない。ただ、「自分のお茶をいれるついでに、相手の分もいれてあげよう」程度の親切心があれば、それでいいんじゃないの、とおもう。

愛は滅びても、親切は生き延びる。

たぶん。