読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

まめ書架

読書、映画、ときどき音楽。あるいは芝居。

【評論】ヴァルター・ベンヤミン『ボードレール他五篇 ベンヤミンの仕事2』

本を開いて読む。読み進める。途中で何の話をしているのかわからなくなって、すこしもどる。こんなところを読んだ記憶がなくて、いっそ最初から読む。さっきより少し進んだところでまたたちどまる。いったい何の話をしていたのだっけ。また読み返す。すすまない。頭にも入ってこない。

でも読む。なんか知らんけど読む。

なぜって?

それが...たのしいから...?

 

ボードレール 他五篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)

ボードレール 他五篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)

 

 

もっとも有名な著作、『複製技術の時代における芸術作品』を読もうと手にとりましたが、そんなわけなので、読み始めて二週間、なかなか先に進みません。わたしは主に電車の中で読書しているのですが、座って読むと確実に寝てしまうのです。それでも、「もうむり、もうやだ」と思わないので、そんなふうにして読むのをたぶん楽しんでいるのだろうなあ。

 

ところでこのベンヤミンというひと、文中の一人称に「ぼく」をつかっている。

もちろん、この文章の原文はドイツ語で、わたしは日本語に翻訳された文章を読んでいるのだから、「ぼく」と訳したのは翻訳者の野村さんだ、だからベンヤミンが「ぼく」と書いたわけではない。それでも、ふつう、公的文書の一人称といえば「わたし」なのに、この文章はわざわざ「ぼく」と訳されているのだ。

わたしが行ったり来たりしながら読むのをやめずにいられるのも、そのへんに理由がある気がする。

どうも、この本におさめられているのは、むずかしい哲学の文章ではなさそうなのだ。

おそるおそる話を聴きに行った大学教授が、「ぼくは最近こんなこと考えたんだ」といいながら、ところどころついていけないけれど凄く興味深い話をしてくれた、みたいな。話を聞いてみると、意外とこわいひとじゃなかった、みたいな。しかもこの先生、何べん聴きなおしても文句をいわない。タイムリミットもない。紙の本って、こういうとき、ほんとにすばらしい。

 

なんだかんだで、あと半分のところまで読めました。

この調子で、最後まで話を聞いていられそうです。