まめ書架

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【新書】上野千鶴子『女たちのサバイバル作戦』

 

なんちゅう時代に生まれたんだ、とおもった。

 

上野千鶴子『女たちのサバイバル作戦』 

 

男女雇用機会均等法」とはなんだったのか、「男女共同参画」とはなんのことなのか。女性問題の40年をふりかえり、いまおこっている問題にも目を向けて、これから”おんな”はどう生きればいいのかを考えるための本。

 

とても興味深くて夢中で読んだ。

おそろしかった。

 

ところでわたしは裁縫が好きだ。掃除や料理もまぁ嫌いではない。べつにそれはだれのためというわけではない、自分が好きだからやっていたつもりだ。美人でもなければスタイルがいいわけでもない、それでもそれらの趣味のおかげで、「いい奥さんになれるよ」とけっこう言われる。よくよく考えてみれば、「いい奥さん」は美人でないほうがいい。美人だと、ほかの男に取られる心配をしなくちゃいけないものな。

「いい奥さんになれるよ」ーーこれってほめてるつもりだろうか。

 

わたしは正直、会社ではたらくことはそんなに好きではない。「いい奥さんになれるよ」と言われるような趣味を得ていることは、つまり、わたしは結婚という「逃げ」を打つ準備を着々とすすめているともいえる。これもまあ、生存戦略のひとつなのだろう。ものすごくハイリスクだけど。旦那と死別するか離婚するかしたら、わたしはどうやって食ってくんだ?

『女たちのサバイバル作戦』には、ちょっと昔、せいぜい30年ほど前には、今でいう「逃げ」の一手は別に逃げでもなんでもなかった、ということも書いてある。逃げもへったくれもなく、それしかほとんど道はなかった。おんなの生き方が激変したのだ。それもつまり、会社の都合で。少子化(これの原因も会社の都合なのだけれど)により減少した労働人口を補うため、おんなの力を動員したためだ。

 

わたしは女だ。とくべつ、自分の性別に違和感も抱いていないし、同性に恋したこともないから、マジョリティな意味で女だ。これまでとくに、不都合もなく生きてきた。それでも、この本を読むと、そういう「不都合もなく生きてきた」のが、ただ「そのつもりだった」というだけで、実はオヤジ社会的なものにひどく影響をうけて、しっかりその思想を内面化して生きてきたのだと感じる。家事好きなのも、裁縫好きも、別にわたしが好きでやっていたわけじゃなく、「おんなは家を守る」的な、オヤジ思想を内面化しただけだったのだろうか。

なんか泣けてきた。

 

まえに『働く。なぜ』を読んだとき、わたしは「この本の読者にはなれない」とおもった。

 

【新書】中澤二郎『働く。なぜ?』 - まめ書架

 

あそこに書かれていた働き方とは、まるっきり、男性のものだった。だからわたしは、ごりごり、違和感をかんじていた。きっと感じないひともいるのだろう。わたしとちがって、ばりばり働くひと、「もっと上を目指したい」とおもうようなひとたちは、きっと長時間労働もなんのその、頑張ってはたらくのだろう。

 

数年前の就活のさい、わたしは第一志望だった企業の面接時に「仕事も家のこともどっちもがんばりたい」というようなことをいって、当然ながら落とされた。その企業のホームページには、女性もはたらきやすく、会社も家庭も充実させている先輩社員たちがたくさん紹介されていたから、わたしはそういうことを言った。わたしのやりたかった働き方とはそういうことだったから。不合格通知がきて散々泣きちらした後で冷静になって、「まあそりゃ、当然だわな。会社はバリバリ会社のためにはたらいてくれる人がほしいわな」とおもった。でも、「わたしはバリバリはちょっとやだな」ともおもっていた。もういいや、とりあえず就職して生ぬるくはたらいてれば、バリバリしなくてもいいだろ、とおもい、生ぬるく働く今に至る。

 

夢はかなった。べつにやりたかった仕事でもなんでもないけど、休みもたまにとれるし残業も多くない。おまけに未来への展望もまるでない。ここでどうやって技術を身につけろというんだとおもいながら仕事している。でもわたしはそういうことを、自分で選んできた。そう、自己責任。でも自分で選んで会社に入れたわけではない。なんかよく分からん理由で会社に選ばれた。どうしてそのときわたしが選ばれていたかはさっぱりわからない。選ばれていなければ、わたしは非正規社員になっていただろう。なにかのきっかけで、これからもしかしたら非正規社員になるだろう。

 

とりとめもなくそんなことを考えていた。

この本を読んでいる間中、ひどくぐるぐると、いろんなことを考えた気がする。

 

タフな女になりたい。