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まめ書架

読書、映画、ときどき音楽。あるいは芝居。

【小説】ポール・オースター『最後の物たちの国で』

昨日ここにあったものが、今日はなくなっている。今日はたしかにいたひとが、明日にはいなくなる。こどもは生まれず、身を守る家もなく、泥棒も殺人も犯罪と呼べなくなった。

それがいつごろ始まったのかは、だれにも言えない。

完璧に終わってしまい、もう二度と生まれかわることのない、世界。

この小説の行間からは、路地裏やゴミ箱や死んだ猫のにおいがする。

 

ポール・オースター『最後の物たちの国で』

最後の物たちの国で (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

最後の物たちの国で (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

 

 

「この国」とは、訳者あとがきにもあるとおり、未来国家を描いたおはなしでもなければ、名指しで示される国の話でもない。かつて存在していた国、これから起こりうるかもしれない出来事、そういったものたちが今まさに起こっているどこかの国、明日にでも私の住んでいる世界がなりうる世界として、描かれている。

わたしも、この国の住民かもしれない。

生きているけれど死んでいるのとかわらないくらいになった国。

 

この「最後の物たちの国」がどこなのかは、明記されない。アメリカから海を越えたところにあるらしい。おそろしく広大で、だれもその全貌を把握していない。政権は短期間で入れ替わり、昨日の法律が今日はもう覆るなんてことが頻繁におこっている。いちど訪れたが最後、でてきたものはだれもいないといわれている。お嬢様そだちの主人公は、行方不明の兄を探すため、この国に乗り込んだ。「兄とともに、きっとこの国を生きてでる」という薄っぺらな希望はあっというまに消し飛ばされ、有り金も尽き、ごみを拾うことで命をつなぐ。落ちるところまで落ちたようなのに、落ちる先はまだいくらでもあるらしい。

頭にはいつも薄霧がかかったようで、道端で死んだ人の虚ろな目からわきでる蛆も、死肉をあさる野良犬も、何を見ても大してこころも揺れなくなってしまった。

主人公・アンナは、「この国」のことを、一冊のノートに書き記しているらしい。冒頭、何度か、読者らしき人のすがたも垣間見える。アンナはこのノートが「この国」の外にでて、誰かに読まれることを祈っている。元の世界に置いてけぼりにしてきた父や母、そして恋人とおもわれる人物に届くことを祈っている。

 

そしてわたしはいま、アンナの書いた文章を読む。

これは、どういうことだろう。

 

ノートは、アンナのことばは「最後の物たちの国」の国境を超えたのだろうか。それとも、このノートを読む冒頭の人物や、わたしは、すでに「最後の物たちの国」の住人であるがゆえ、アンナのことばを読めるのだろうか。

 

不思議なことに、アンナはいつも、ぎりぎりのところで誰かに救われる。たまたま命を助けたおばあちゃんに家を借りお金をうけとる。一枚の写真がきっかけでめぐり合った兄の同僚の新聞記者とは恋人になる。命にかかわる大けがを得て運ばれたさきで職と温かいごはんを得る。おそろしく救いのない物語なのに、ちっとも嫌な気持ちにならず読み進められるのは、そのためだとおもう。

 

アンナの行く先々、であうひとびとの間には、希望が生まれる。

たとえそれが、また新たな堕落の始まりだとしても。

でもそれは、ごみだめの中を倒れず歩くために必要な希望だ。

そのはずだ。