まめ書架

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【エッセイ】遥洋子『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』

「女は家事をするものだ」

「女は働かなくても別にいいじゃないの」

「女はそういうこと言っちゃいけない」

「だってあなた、女なんだから」

 

なんで?どうして?という疑問はいつも封じられる。芸能人たる著者は、テレビで発言してもいい(するべき)ことと、してはいけないことがあることを「わからない」と感じている。そしてその「わからなさ」に対して、”確実に、的確に、瞬時に、相手に打ち勝つ方法”を求めて、日本の最高学府の最高峰・東京大学上野ゼミの扉をたたくのだ。

漢字ばっかりの論文を人の3倍くらい読み込んで、勝手のわからないゼミで奮闘し、それでもぐるぐるとおなかで渦巻く「わからなさ」を原動力にして、司会やプレゼンを

こんなひとに向けて、いうべきことばは一つだけ。

 

なにそれ、めっちゃかっこいい!!!

 

遥洋子「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」

 

東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ (ちくま文庫)

東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ (ちくま文庫)

 

 

 

全編に満ち満ちているものは、息苦しくなってくるほどの、知への情熱。いや、その情熱は「知識」に対するものなのかどうか。ただ、なにか得体のしれない理論や法則のうずまく「よのなか」への、疑問、不快感、噛みきれないかんじが、遥洋子さんを突き動かした「しりたい」につながっている。

「しりたい」とはつまり、「ことばで言いたい」ってことだ。このもやもやを、なんとかしてことばにしたいのだ。ことばは誰かに伝えるために生まれた。だから、つまりこれは、「わたしはこう考えている」という精いっぱいのオリジナリティの表明であると同時に、「あなたはどう思う」と聞きたいってことでもある。

この本を読んだわたしは、遥洋子さんからの「あなたはどう思う」を突きつけられている。

 

ぶっちゃけ、「よのなか」のことなど、考えなくても生きてゆける。むしろ考えずにいるほうが平穏に生きていられる。よのなかのふしぎに見て見ぬふりをして、いや、見て見ぬふりをしていることにすら気が付かず、生きることができる。

でも遥洋子さんは「なんで?」とおもってしまった。

 

わたしも、遥さんほどつよくたくましくないけれど、「なんで?」とおもっている。多かれ少なかれ、みんな思っているはずだ。

その「なんで?」こそがわたしだ。

 

「あなたはどう思う」

 

わたしはなんて答えよう。たぶん答えはない。

でも考えなくちゃいけない。