まめ書架

読書、映画、ときどき音楽。あるいは芝居。

【エッセイ】岸政彦『断片的なものの社会学』

これは、なんといえばいいのか。
どんな読み方も赦してくれる、ゆるゆるの行間に漂うような読書の気持ち良さ。
どんなわたしにも、ここにいていいよ、と言ってくれているみたいな。

岸政彦『断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

お風呂場で、湯舟に浸かりながら、ほけーっと天井のカビとかながめつつ、あー、どんなにかっこよくバリバリ働くおねいさんも、イケイケ金髪のおにいさんも、こういう情けないかんじで風呂場の天井をあおぐ瞬間があるのだよなあ、とおもう。同時に、今この瞬間、この風呂場の天井をみあげているのは、いまここのわたししかいないことに思い至って、怖くなって慌てて風呂から出る。

いまはこの天井を見上げるわたしが、このわたしである理由はどこにもない。なんかもうわけの解らない偶然が、わたしをこの場所で「わたし」たらしめている。

だから、世界に一つだけのかけがえのないわたしとは、本来ドラマチックなものではない。すごく当たり前だ。
けれどそれを当たり前のものとして認識すると、孤独になる。

親子でも、恋人でも、相手の気持ちは想像するしかない。喜びも悲しみもわたしきり。 孤独はいやだけど、かけがえのなさは求めるわたしたちは、物語をもとめる。

物語は、どこにでもある。
大家族スペシャルにみる理想の家族像、ダイヤの指輪のプロポーズ、ネットに蔓延する憎悪のことば、薄っぺらい愛国心Facebookの「いいね!」の数、エトセトラ、エトセトラ。


この本は、孤独さを孤独のまんま、静かに真面目に見つめている。

あー、なんて居心地がいいんだろう。
こういうのって、心地いいんです。

夢や希望や自己肯定、批判や憎悪の物語がはびこるなかで、肩身のせまいおもいをしている人に、ちいさな居場所を提供してくれる。

そんな本。