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まめ書架

読書、映画、ときどき音楽。あるいは芝居。

夏目漱石『それから』

森見登美彦がいつも、腐れ大学生の四畳半的物語を書くように、
村上春樹がいつも、消えた女の子のエピソードを書くように、
タランティーノの映画がきれいな足を撮るように、

夏目漱石は、三角関係を書いてしまうのかもしれない。

夏目漱石『それから』

恋愛は、”三角関係でなければ”発展しないそうです。ほんとかどうかは知りません。そういえば「タイタニック」のジャックと恋に落ちたローズには婚約者がいたし、「冬のソナタ」も「ベルサイユの薔薇」も三角関係の恋が登場します。

じゃあ、どうして三角関係になってしまうのか。
それは「人の物がほしい」という、実にわかりやすい理屈がつきます。

自分だけが好きなものに価値はなくて、他者から「それは大変すてきなものである」と認められることで、はじめてそのものに価値を見いだせる。ブランド物を買ってしまう心理と同じですが、恋愛にもこれが適用される。

主人公の代介は、好きだった女性を一度は「手放し」、友人の平岡と結婚させた。でも3年後、やっぱり好きだと気づいて「取り返した」。主人公は始終、自然と社会の対立が云々とぐちゃぐちゃと言っており、なんとなくそういう小難しい理屈をつけて読んでしまいそうになるのだけれど、実は単にそれだけの話ではないのか。そりゃあ、本人には深刻な問題なので、ぐちゃぐちゃになる気持ちもわかるけど。

夏目漱石は西洋文学に精通したひとで、イギリスへの留学経験もある。そこでは、当時はまだ日本に輸入されていなかった「恋愛」を学んだはずです。

「恋愛」とか「社会」という概念は明治時代に舶来したもので、それまではそれらに該当する日本語は存在しませんでした。江戸時代までは「色恋」で、性愛と直結していました。たとえば、かわいい娘がいたorおとこまえがいた⇒夜這い!となる。

「色恋」と「恋愛」の最大のちがいは、性愛の有無にあります。プラトニック・ラブ。肉体的な欲求を離れた、精神的な愛。

でも、どういうものが恋愛なのかは、だれも知らない。

答えがない。

それに対しての回答の一つが「三角関係」だったのかもしれない。これが谷崎潤一郎だったら、少女に馬乗りにされる小説になるし(痴人の愛武者小路実篤だったら嫌悪の視線を勘違いしまくる話になるし(おめでたき人)田山花袋だったら女学生の使っていた布団の臭いをかぐ話になる(蒲団)

...の、かも、しれない。

どうでもいいですがタランティーノは足フェチなので、初期の映画にはしょっちゅう「きれいな足」が映ります。