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まめ書架

読書、映画、ときどき音楽。あるいは芝居。

ジョン・アーヴィング『ガープの世界』

みるからに重たそうなカビの生えた埃っぽい単行本を抱えて本に頭をうずめるみたいにして通勤電車にゆられるワンピース姿の会社員を大阪でみかけたら、たぶんそれはわたしでした。
 
アーヴィングの小説って、絶対そうなるんだよなあ。
 

 

ガープの世界〈上〉 (新潮文庫)

ガープの世界〈上〉 (新潮文庫)

 

 

 

ガープの世界〈下〉 (新潮文庫)

ガープの世界〈下〉 (新潮文庫)

 

 

人に読まれるために書かれた一定量の文字を読み、作者のそれまでの人生だとか、どうしても伝えたいことだとか、社会に問題提起したいことだとかを読み取る行為を、実に簡単にやってのけてしまう。
 
それはそれで間違った読み方ではないのだろうけれど、「小説の読み方」としては、ちょっと乱暴なものだとおもっている。自分が書くものに、自分が考えていることを直通させてしまう「作家」が、どこの世界にいるだろう?
 
(いや、その手の方法でベストセラーになる作家もいるのだろうけれど。それはおいといて。)
 
森実登美彦『太陽の塔』がファンタジーだったり(いやわからなくはないけど)、ヴォネガット『スロータハウス5』がSFだったり(いや間違っちゃいないけど)、森鴎外舞姫』が悲恋だったり(承服しかねる)、通りのよいような分類はいくらでもできる。けれど、たぶん本来そういう分類におさまりかねるものが「小説(novel=奇妙なもの)」って呼ばれたはずなのだ。
 
言い淀み、書きあぐね、たとえ話を持ち出し、ときには冗談を言い、遠回りして、なんとかそれらしい結論に導き、なにか得るものがあったような、ただただ時間を浪費したような、よくわからない、ああでも面白かった、というような。
 
本文のことばをそのまま借りるなら、
 
「するときみは次がどうなるか本を読むわけだね?」
「ほかに本を読む理由なんて、ないのとちがうっけ?」
 
これ以上の素晴らしい読書ってあるだろうか。
 
あー、おもしろかった。