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まめ書架

読書、映画、ときどき音楽。あるいは芝居。

atプラス28号 [特集]生活史

「語りというものは、切れば血が出る。それは生きているのだ。私たちがおこなっているのは、そこで暮らし、生活している個人に直接お会いして、その言葉を聞き取るという作業である。」
("特集によせて"岸政彦)

【特集分冊版】atプラス 28 (岸政彦 編集協力 生活史)

【特集分冊版】atプラス 28 (岸政彦 編集協力 生活史)

ちょっと気になっていて、でも書店においてなくて、仕方ないのでネットで注文しました。初めて買う雑誌ですが、以前読んで素晴らしかった本(『断片的なものの社会学』)の著者が編集協力しています。

届いてた。うれしいなあー。

わたしは社会学を4年やっていましたが、「生活史」ということばを最近知りました。過去の文献やら理論やらを読みあさってやるタイプの卒論を書いたので、社会学的な「フィールドワーク」もしないままでした。そのせいか、生活史の語り口はすごく新鮮なかんじがします。

社会学って、どちらかというと、「個人」は見ない学問のような気がしていた。社会というでっかい流れを読むために、個人個人がどういう動きをしたのかをみる学問、みたいな。個人は粒、社会はうねり。

でも、ここにはかたちのある個人がいる。生活史に携わるひとびとは、西成に、沖縄に、夜のネオン街に、日本と韓国のはざまに、いたるところにいる"個人"にはなしをきく。そしてそこで語っている個人はほんとにただの個人で、「路上生活者」や「普天間」や「キャバ嬢」や「在日」を代表しているわけではなく、わたしたちと地続きの生活のうえに生きている。

当たり前を疑え、と、社会学部で最初に買った教科書には書いてある。

どこにも個人がいて生きているのが当たり前なんだけど、わたしもそういう個人なのだけれど、ともすれば忘れそうになる。別に忘れていたって全く困らないんだけど、でもたまに思い出したくなる。

この雑誌は学術書でもある。
だから、読んで感傷的になるのはなんかちがうきがする。

そこにもひとがいるのか、ってかんじで、フラットな気持ちで読みたい。

(まだ前書きしか読んでない。)