読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

まめ書架

読書、映画、ときどき音楽。あるいは芝居。

庵野秀明 脚本・編集・総監督『シン・ゴジラ』

なんばから奈良に向かう電車のなか、衝動的に購入したパンフはネタバレになる恐れがあるからとまわりの乗客に配慮して読まず、でも「おれ、見てきたぜ!」アピールはしときたくて、ビニールから表紙が透けて見えてる方を表にしながら、文庫本も音楽も聞く気になれず、口半開きのまま虚空を見つめてにやけている怪しいOLがいたらたぶんそれは私でした。

庵野秀明 脚本・編集・総監督『シン・ゴジラ

 

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ

 

 

 

(以下、ネタバレは無いよう気を付けましたが、気になる人はどうぞ本編を見てから読んでください。)

すごかった。初代ゴジラの魂しょってる。観に行く際は、1954年の初代ゴジラを観てから行くのをおすすめします。それから、見る人によって感想がかなり大きく変わるとおもいます。いろんな人に感想を聞いてみたいなあ。

わたしはすごく、一連のオチが好き。

あとあれ。無人在来線爆弾。たぎる。

ところで、ゴジラとは人間の科学技術(核廃棄物)から生まれて、常に人間によって滅ぼされる生き物です。彼は常に怒っている。その怒りとは「なぜ俺は生まれたんだ!」という怒りです。生まれたことに対して怒っている。

特に今回のゴジラは、ビジュアル的にも無機物感が強くて、「荒ぶる神様」感がすごかったです。「荒ぶる神様」相手に、人間が繰り広げるのは、お涙頂戴のヒューマンドラマではありません。この映画、人間の感情がほとんど描かれないせいなのか、主演たちがたまに気持ちを吐露すると白々しく聞こえるほどです(これは初見だからかなあ。筋を追うのに必死だったから。二度目は印象がかわるかもしれない。)

日本にやってくるゴジラの怒りは、ミサイルや爆弾では静まりません。科学技術から生まれたゴジラは、科学技術によってしか鎮まらない。その科学技術がまた新たなゴジラを生むことになっても、たぶん、そうするしかない。

でもそれは、祈りにも似ているかもしれない。鎮魂の祈り。「今の我々にできることはこれが精いっぱいです、どうかお鎮まりください」という祈り。

そういうのを忘れたときに、ゴジラは再び目覚めるのかもしれない。